領域概要

領域名:新興硫黄生物学が拓く生命原理変革(硫黄生物学)
    Innovative Sulfur Biology Emerging from Supersulfides
領域代表:東北大学 加齢医学研究所 教授 本橋ほづみ
研究期間:2021年度(令和3年度)〜2025年度(令和7年度)

本領域の目的

  硫黄は、太古の海で生命が誕生して以来、地球の生命の歴史を牽引してきた元素です。現在地球上の多くの生物が利用している酸素に比較して、硫黄には電子の授受に伴うエネルギーの変化が小さいという特徴があります。そのため、硫黄は原始の生命が酸化還元反応の媒体として利用しやすい元素であったと考えられます。

一日の生活イメージ

 

 一方で、酸化還元を受けやすいという性質は、正確な定性・定量を困難にするという側面を持ちます。分析のためのサンプル調製の操作によって分解したり、酸化されたりすることで変化してしまうため、これまで多くの硫黄代謝物が見落とされてきました。ところが、近年、硫黄代謝物の新しい定性・定量技術が開発されたことを端緒に、直鎖状に連結した硫黄原子(超硫黄/スーパースルフィド Supersulfide)を含む多様な硫黄代謝物が生体内に豊富に存在していることが明らかになりました。低分子の代謝物に含まれる超硫黄は、抗酸化作用や抗炎症作用を持つとともに、ミトコンドリアにおけるエネルギー代謝において必須の役割を担うことがわかってきました。すなわち、超硫黄分子は普遍的で必須の生命素子といえます。また、タンパク質のシステイン側鎖にも多くの超硫黄が含まれており、タンパク質の品質管理やシグナル伝達に関わることが明らかになってきました。

 

 本領域では、これまで看過されてきた超硫黄の化学的・物理的な特性を理解し、その生物学的機能を解明することにより、全く新規の硫黄生命科学を確立し、物理学・化学・生物学地学・情報科学・数学などの幅広い異分野融合と革新的学術領域の創成を目指します。具体的には、以下の3つの目標をたてています。

(1)超硫黄分子の定量性・感度・再現性に優れた計測技術を確立する。
(2)超硫黄分子を考慮した生体内電子移動とシグナル伝達の解明により、様々な生命現象を新しい視点から理解する。
(3)地球環境の保全と持続可能な社会の構築のために超硫黄分子の有益な利用方法を見出す。


研究項目A01: 超硫黄分子の分析・計測・可視化

体験学習イメージ

 

 超硫黄分子の基本的な物理化学的性質と、生体内において超硫黄分子が関与する化学反応機構の解明に挑みます。その知見に立脚して、超硫黄分子ドナーやクエンチャーの開発、超硫黄産生酵素CARS/CARS2の活性化剤や阻害剤の開発を行います。また、量子化学計算により超硫黄を有する代謝物やタンパク質のユニークな構造が示唆されているものの、原子レベルでの可視化には成功していないことから、本領域では、従来のX線結晶構造解析に加えてクライオ電子顕微鏡による超硫黄分子の可視化に挑み、超硫黄分子の機能を支える構造基盤の解明に挑みます。
硫黄生物学の根本を支えるのは、超硫黄を含む代謝物やタンパク質の精密な分析と定量です。現在最も信頼性が高い計測方法は、質量分析法による超硫黄分子の定性・定量技術ですが、まだ十分には普及していません。本領域では、超硫黄の存在を一人でも多くの研究者に実感していただけるよう、超硫黄計測技術の普及と標準化を図ります。同時に、質量顕微鏡(イメージングMS)やラマン分光法を用いた超硫黄分子のイメージング技術の確立に挑みます。一方、特殊な機器を必要としない超硫黄分子の検出のために、蛍光プローブやケミカルプローブの開発を行い、普通の生化学実験として超硫黄分子の検出が行えるプロトコールを確立します。

超硫黄の化学

Sawa et al., Antioxidant and Redox Signaling 2021.
DOI: 101089/ars.2021.0170


研究項目A02: 超硫黄分子をめぐる電子フラックス

英語学習イメージ

 

 ミトコンドリアや葉緑体の電子伝達系における電子供与体・電子受容体としての超硫黄分子の役割を明らかにして、硫黄に依存したエネルギー代謝や光合成の生物個体における意義の理解を目指します。また、NADPHオキシダーゼ(NOX)や一酸化窒素合成酵素(NOS)による超硫黄分子への電子供与の実態を明らかにして、電子受容体としての超硫黄分子の幅広い生物機能の解明に挑みます。さらに、小胞体でのタンパク質品質管理における電子移動媒体としての超硫黄分子の役割の理解から、タンパク質フォールディングや小胞体ストレスの新たな制御機構の発見を目指します。
 効率的な電子の授受を可能とする超硫黄の特性を鑑みれば、生体内のさまざまな酸化還元反応が超硫黄分子を利用しており、定常状態でのレドックスバランス恒常性は超硫黄分子により維持されているものと予想されます。この項目での研究により、分子状酸素や活性酸素種の作用であると認識されてきた従来の生物学における既成概念を刷新し、電子フラックス全般における超硫黄分子の貢献度と普遍性を明らかにしたいと考えています。


研究項目A03: 超硫黄分子が担うシグナル伝達

 

 

 細胞内のシグナル伝達に関わる因子の多くは、システイン残基を利用しています。たとえば、酸化ストレス応答におけるレドックスセンサーであるKEAP1、温度や進展刺激のセンサーであるTRPチャネル、様々な応答反応に関与するGPCRファミリー、Gタンパク質など、いずれもシグナル伝達機能の鍵となるシステイン残基を有しています。こうしたシステイン残基の側鎖には超硫黄が存在している可能性が高く、超硫黄分子が担う電子移動が生体内における様々なシグナル伝達としての役割を果たしていると予想されます。タンパク質の超硫黄側鎖は様々な親電子性物質に対して鋭敏に電子を供与して、そのタンパク質の機能を変換することにより、効率的で速やかな情報伝達を可能にしていると考えられます。また、超硫黄が酸化されて生成するスルフォン酸化超硫黄分子が、グルタミン酸やリン酸化セリンを模倣することも示唆されています。
 このように、超硫黄分子の存在を考慮することにより、これまで認識されていなかった新たなシグナル伝達機構の存在を明らかにできるものと期待しています。

期待される成果と意義

 超硫黄分子研究は基礎生命科学に大きな変革をもたらすとともに、疾病の理解にも大きく影響し、臨床医学の診断や治療にも技術革新をもたらすことが予想されます。また、光合成の効率化による大気中二酸化炭素の削減や農産物の生産性の向上など、環境問題や食料問題への新たなアプローチの基盤となる知見が得られることも期待されています。さらに、最近では、地球温暖化の解決に向けたジオエンジニアリング(気候工学)として、海洋生物が大気中に放出する硫黄代謝物から生成する成層圏の硫酸エアロソルが温暖化に拮抗する一つの手段になる可能性が議論されています。すなわち、超硫黄分子研究は、持続可能な地球環境づくりにも貢献できるものと考えられます。

 

文部科学省 科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)
新興硫黄生物学が拓く生命原理変革

学術変革領域(A)「硫黄生物学」事務局
東北大学加齢医学研究所 遺伝子発現制御分野 本橋ほづみ